新卒1年目で退職?!現在は??

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私の人生は、「運」がいい。すべて上手くいく。
必ず誰かがターニングポイントで助けてくれる人生である。

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【自己紹介】

  • 山口県熊毛郡平生町出身:山と海しかない、田舎町です。
  • A型:丁寧・几帳面でこだわりが強いです。
  • 双子の父親:育児が下手くそで困ってます。
  • 趣味:サッカー、フットサル スポーツは偉大だと思っています。
  • 山口県(学生)→岡山県(学生)→兵庫県(就職)→東京都(就職)と、上京してきました。

【看護師ストーリー】

2012年4月-2013年3月退職 神戸大学医学部附属病院

 新卒で、腎・泌尿器科に配属。
第一希望は、消化器内科だったが、抽選で外れてしまった。
 消化器内科を希望した理由は、
①消化器疾患に興味があったこと:アミラーゼが、、、ペプシノゲンが、、、などが好きだった。
②外科・ICUなどは、自分のミスで患者様に不利益を与えたくなかったから
③看護実習で、消化器の看護師が優しかったから
絶対に配属になりたい科があったわけではなかった。この当時は、救急科は絶対にいきたくない科であった。

 入職して3ヶ月目、受け持ち患者が急変(抗がん剤投与直後にアナフィラキシー)。頻呼吸・頻脈、「苦しい」って、目の前で患者様が苦しんでるのに何もできなくて、なんで看護師なのかわからなくなった。
誰かの役に立ちたくて看護師になったのに、本当に何もできなくて、悔しくて悔しくて。
次の日、師長に看護師としてすべてできるようになるために救急科またはICUへいきたいと異動希望をだした。何回も面談して短期の異動はできないと。
ということで、親や親友の反対を無視して、転職活動開始する。当時は社会を知らなかったため、東京大学医学部附属病院が最先端医療だろうと勝手な妄想で面接を申し込む。そしたら国立大学系列だからか、神戸大学医学部附属病院の看護部長より、病棟へ連絡をいただく。
転職活動していることが発覚、再度師長と面談。その場で退職の旨を伝えると、1年間は病棟で経験を積みなさいと指導してもらい、1年間は病棟で勤務することを約束した。
 調べていくと、「高度救命救急センター」、「救命救急センター」、左記2つ以外の救急科があることを知った。日本で一番経験ができる病院へいくと決めていたので、
①東京(一番人が多い=症例数が多い)
②新卒、看護師経験が浅くても高度救命救急センターに配属が可能な病院

2点に絞って、杏林大学医学部付属病院の高度救命救急センターへ転職した。

2013年4月-2022年8月退職 杏林大学医学部付属病院

 当時の杏林大学医学部付属病院の看護部長に、高度救命救急センターへ配属希望を伝える。
看護師経験浅くても、配属してくれると約束してくれた。他にも高度救命救急センターの病院もあったが、看護師経験が浅いと配属はできないと言われ、杏林大学医学部付属病院しかなかった。
 新卒1年で退職した経緯もあり、看護師5年目までは附属病院の図書館にこもり医療・看護の勉強しかしてこなかった。同期との食事会も断り、浮いていた存在だった。ほんとに余裕がなくて、一刻も早くなんでもできる看護師になりたくて。
テキストブックという1年かけて終わらす課題を1か月で終わらし、IABP・PCPSの患者様を受け持ちたいと先輩に伝えると、「まだ早い」と言われる。とりあえず、最重症者をみるためにアプローチし続けた。
念願かなって、看護師3年目に1.2ER、3ER、OPE室、カテ室、東京DMAT隊員を経験。(このとき歩く図書館と言われていた)
 初めての患者様は緊張性気胸で、初期診療したのを今でも覚えている。ICUでできていたことが、ERではできなくなった。物品の場所もわからず、初期診療の現場ではいつも優しい医師もピリピリしていた。
 東京DMAT隊員の初出動は、緊張した。医師と私だけで出動。医療資源は最低限、現場に行くまでに情報が全くない(暗号通信はあった)、ドキドキしかしてなかった。限られた医療資源で最低限出来ることだけ、私自身が病気になりたい気分だった。
 ここまで経験すると、違う世界がみたくなってきた。専門知識を深めるのか、教育を深めるのかなど。

 結果、認定・特定看護師、専門看護師、診療看護師を目指そうとした時期もあったが、看護にとらわれることなく、多様な分野を理解し現代社会の問題を解決したいと思い、公衆衛生学大学院へ進学した。

2021年4月-2023年3月修了 帝京大学大学院公衆衛生学研究科

 大学院で、「自傷・自殺未遂レジストリ」という本邦初のレジストリーを立ち上げた。
高度救命救急センターでは、同じ患者様が自傷・自殺未遂で何度も繰り返し救急搬送されどうすれば対策ができるかと思い悩んでいた。研究科長より、suicideの研究を行うということでjoinした。
研究は初めてのことばかりで、研究科長の指導を受け海外論文を読みまくった。レジストリー項目の選定や疫学、生物統計学など学び学会発表や論文のまとめ方を学んだ。
実際に、「学会発表」や「救急医学」に執筆したので、興味がある方は読んでいただければと思う。

大学院で一番得たのは、一緒に学んだ仲間。最高の環境で最高の学習ができた。

おわり

現在は、24QQ訪問看護ステーション武蔵野を2024年7月1日オープンを目指して準備中です。
杏林大学医学部付属病院を中心に、武蔵野市・三鷹市の医療を支えていこうと思います。

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